がっつり爪痕

感想投下場。時々日記。

人生6割なんだよ

あれもしなくてはこれもしなくては! と色々抱え込んでいた部分があるんですよ。
とはいっても、私自身は器用なほうではないので、抱え込むといっても多忙してる方々の半分程度、半分以下、なんというか「こんなことも満足にできないの?」と言われそうなレベル。

周囲を見回せば私以上に大変な人もしんどい人もたくさんいて、つまるところ「この程度のことでひいひい言ってる私はあほなのでは?」となっている部分もある……、いやいや私がもともとあほなのは知ってるけど。

というわけで自分に課せられた使命を全うできないことに無性に焦りというか、「私、こんなんでいいのか。こんなに中途半端でいいのか。やっぱ私、価値ないんじゃないのか……」と焦りまくっていたんですが、最近、ちょっとその波が引いてきた。

 

なんというか、6割でいいらしい。

 

人生6割でいいらしい。6割頑張ればいいらしい。つまりは残り4割は自分が決めて、「これはしないことにしよう」と決めていいらしい。

できないこと、できなかったことではなく、“しないこと”。

これっていいよね。

できないこと・できなかったことっていうニュアンスにすると、「ああー、私、あかんやつだ。駄目なやつだ。できてない事がある、駄目だ」と頭を抱えてしまうんですが、状況的には同じ状態でも「しないこと」と決めると、ふっと心が楽になる。

私は「できない」のではなく、「しない」事に決めた。

今日することの6割のなかに、この作業はいれないことに決めたので、今日はしない。(かわりに明日の6割の中には入れるかもしれないけど、それはまあ明日の私が決めればいいことなので気にしない)

 

できない・できなかったっていうのには、なんとなく罪悪感があるけど。

しなかったには、罪悪感がわかない。自分が決めたことなので。

 

というわけで、私はぼちぼち6割でやっていこうと思います。

残りの4割を選びながら、やっていく6割を決めていく生活……、案外快適です。(ちなみにブログを書くときなんかも、今までずっと「この記事は完璧か?」って考えて投稿してたんですが、6割を考えるようになると「ま! とりあえずは読めるし、いいか!」で投稿できるので気が楽ですね……。自分、想像以上に色々と気負ってたのかな)

うっすらとした不安がありまして

うっすらとした不安がつきまとって気持ち悪い今日、いかがお過ごしでしょうか。

というか、残業する時間が減って必然的にお給料も減って、もうちょい節約しないといけないよなぁーとか色々思いつつ、思うのがしんどくて、なんか「あー、生きてたくないぁー」とうすぼんやりと思う今日この頃です。

これっていわゆる寒暖差による情緒の不安定さからくるのか。あるいは女性特有の症状なのか。漠然と、「あー、いやだ。もういやだ、とっくの昔にいやだ。いやだ。いやだ」と、何度も何度も「いやだ。いやだ」と繰り返してる。明確になにがいやなのかはさっぱりわからんのだけど、それがうっすらとした不安としてつきまとってんだろうなぁーと思う。こいつはめんどい。

実はこの文章をつらつらとかくまでは(というか携帯キーボードを広げて最初の文章を打ち込むまでは)、ずーっとこの「いやだ。しんどい。いやだ。面倒」っていう気持ち悪さにつきまとわれていたんだけど、なぜか文章をつらつらとかいていると落ち着いてくるこの不思議。頭のなかでぐるぐるしてるときは、放置すると致死量になりそうな毒素を吐き出してくるのに、こうして文章にしてみると、「いや、……まあそれほどのことでもないかもしれん」と思えてくる不思議。

自分は思っている以上にひとりで思い悩める人間ではなくて、実際のところ、こうして誰がみるかもわからない無料ブログに延々と文章をかき連ねていくのがストレス発散になってるんだろうと思う。

あるいはこれは長い長い遺書みたいなもので、書き留めて残して、まあ誰かに読んでもらえれば御の字、みたいな。

自分、一応有料のほうのブログももってるんでたまに「そっちで日記をかいたほうがいいのかな??」ともなるんだけど、でもそっちにかくと、そいつはもう「私」という一個人に限定されてしまうので、こうしてどこの誰ともわからない感じで散文をかき散らかしてるほうがいいような気がする。誰かに読んでもらいたいけど、それは「いま」じゃなくてもいい。私が消えたあとでもいい。というか、後がいい。

そうこういってるうちに、なんかうっすらとした不安というかいやな気持ちというか、重たいものが全部キーボードを打つ指先からネットへと放流されたっぽいので、今日はここまで。では。

価値のないこと

時々すっごく「あ、これって価値がないな」って思うんですよ。

自分の行為、自分の思い、その他もろもろ。

自分がこうしたいなって思ったときに条件反射のようにわいてきて、「それって意味ないよね。価値ないよね」といってくる。こいつは何者なんだろうね、ずーっと私の心のなかにいるんですが。

まあ、そいつが「意味ないね」「価値ないね」っていったところで、「じゃあ意味のあるもの、価値のあるものってなんだよ」って考えると、そんなのは分かりやすくいうと誰かの役にたつことだったり、他人からみて見栄えのいいことだったり……、ようするにめっちゃ"他人基準"でいきれば、価値がある・意味がある人間になれるんだろうなって思う。

あー。でもそんなの、しんどいやん。

他人の期待に寸分たがわず答えられたら、それはそれで幸せだろうけど。お前、私にそんなスペックがあるとお思いで? そんな潜在能力があれば、もっと違う人生を送っていたと思わないかい?

 

でもまあ、価値ないよな。意味ないよな。

あー、しんどいなぁーと今日も今日とて思うのです。

無料ブログをはじめたきっかけ

ふと「そういやぁ、この有料ブログ、私が料金払うのやめたらすぐに消えるんだよな」と思ったのがきっかけ。

いままで自分のかいた文章が消えるってことをそんなに深く考えてこなかったのに、ある日突然「うわぁー……、消えるのかぁー」っていう気持ちになった。

 

なので、無料ブログ(というココ)をはじめた。

 

 

無料ブログだから、一応私が明日突然この世界から消えてしまったとしても、このブログは残るわけで。

遠い将来に規約がかわってブログが消えるときがくるとしても、まあそれは私がこの世界からいなくなるよりも後のことで。

つまり、私という生身の人格が消えてしまった後も、こうして脳みそを切り取るみたいに言いたいことをぐだぐだと書き連ねてるこの文章は、私から切り離された瞬間からネットの海に漂いだして、私が死んでもとりあえずは漂いつづけるんだよなぁーという絶妙な感慨深さを感じてる。

 

ようは私は、何も残していないことが怖いのかもしれないし。

このまま消えてしまうかもしれないっていう事実に恐れているのかもしれない。なのでこうして思うことを思うままにブログに放流していって、なんかこう「まあ、私がいなくなってもブログは残るし、もしかすると10年後の誰かが読むかもしれないじゃん? それでよくない??」って気持ちになりたいのかもしれない。

 

こう考えると、このネットがない時代にこういう気持ちになった人はどうやって自分を慰めようとしたんだろうね。(有名な作家さんなら自分の作品が後世に残ればいいかもしれんけど、そんな人ばかりではないわけだし)

私、もしかしてめっちゃいい時代にうまれたのか??うそやん。

時々くる無力感を噛み締める。

あみぐるみを作ってみたい!」という欲求からはじまった私の編み物も、今年で2年目。

2年もすぎると興味はあみぐるみからブランケットにいったり、ブランケットから帽子に飛んだり……。

特にメルカリで少しなりとも自分の手製の作品が買ってもらえるとわかってからは、「作るの楽しい。売れるの楽しい」でせくせくと作品を作り上げているわけですが、こんな調子で編み物を続けて、どこにいくんだろうかと思うときもある。

 

時々来る、「あー。こんなに編み物をしてもたぶん全然なんの役にもたたないんだろうなぁー……」っていう、よくわからない無力感とかやる気のなさとか、そういうもの。

 

時々感じるこの「畜生、私って本当になんの役にも立ってない人間だな」っていう感覚から抜け出したいと思いつつ、しかしどうしようもなく、うだうだしてんだよなぁ。

私は何がしたいのか。どうしたいのか。そんなのわかったら、きっとめっちゃ苦労しないんだよな。本当。